「大多数の人にとっては、むしろ希望、あこがれ、衝動、求めてはいるかまだ達成されない『もの』」なのである。
だから、自己実現を求める欲求をMズローは問題にしたのだった(以上はMズロー著、U田吉一訳『K全なる人間』による)。 しかも、忘れてならないのは、「自己実現」した人びとの生活歴を研究する例として、Mズローは、「ことに芸術家、知識人その他のとくに創造的な人びと」をあげている点である。
これらの例から推測できるように、自己実現とは、ある意味では、高度な自律性や創造性を備えた職業人に特徴的な特性だと言ってよい。 その意味で、決して階級フリーな考え方ではない。

到達可能な職業のチャンスによって、自己実現のチャンスにも違いが出てくるのである。 ところが、もともとは人生の達人や偉人たちの経験から抽出された、人生のステージをとらえる考え方が、教育のSで使われるようになるや、希釈され、一般化され、俗流化していく。
教育機会の拡大とともに、個性尊重=自己重視の考え方が強まっていくと、差別や選別を嫌う日本の学校ではなおさらのこと、自己実現をめざす機会をすべての子どもに与えるべきだとなる。 こうして自己実現欲求の俗流化と大衆化が進んだのが、新たな段階に到達した日本の大衆教育社会である。
自己実現欲求を満たせるような職業機会のほうは増えていかない。 それどころか、近年の不況は、そうした機会を若者からさらに奪っている。
「自分らしさの追求」や自己実現という欲求は強化されるのに、達成する手段が社会に十分提供されていない。 欲求は高まっているのに、その手段が与えられない状態を社会学者は「アノミー」と呼ぶが、自己実現をめぐっても、まさに「自己実現アノミー」が生じている。
一方に若者たちから望ましい仕事を奪う経済社会の変化があり、他方に、分け隔てなく自己実現の欲求を若者たちに与えようとする大衆教育社会の深化がある。 この両者が交差したところに、自己実現アノミーは生じる。
この自己実現アノミーに陥る可能性は、出身階層の影響を受けながら、教育における「学習の失敗」と関係しているのである。 なぜ「子ども中心主義」と呼ばれる教育を問題にしたのかをめぐるものである。
この論点は、先に述べた「自己」を起点におく教育の大衆化がもたらす問題群と関係する。 子ども中心主義の教育とは、学習者である子ども自身の「主体性」や「関心、意欲」を重視し、体験活動などを通じて、「自ら学び、考える力」や問題発見.問題解決能力や創造力を育成しょうとする教育の考え方である。